推古天皇が豊浦宮(とゆらのみや)で即位し(592年)、持統天皇が藤原宮へ遷都するまで(694年)までの約100年間は明日香の地域に各天皇が宮殿を置きました。
文献に拠れば
・推古天皇→豊浦宮(とゆらのみや)・小墾田宮(おはりだのみや)
・舒明天皇→飛鳥岡本宮
・皇極天皇→飛鳥板蓋宮・飛鳥河辺行宮
・斉明天皇→後飛鳥岡本宮・両槻宮
・天武天皇→飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)
といった都がありましたが、宮殿の所在地は、現在に至るまでそれほど明確に判っているわけではありません。
文献に拠れば
・舒明天皇→飛鳥岡本宮
・皇極天皇→飛鳥板蓋宮・飛鳥河辺行宮
・斉明天皇→後飛鳥岡本宮・両槻宮
・天武天皇→飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)
一般的には、南は岡、北は飛鳥までの飛鳥川右岸の地域を飛鳥京跡と総称しています。
この地域は元々飛鳥板蓋宮と伝承されていました。
この飛鳥板蓋宮というのは645年の有名な大化の改新で、中大兄皇子や中臣鎌足らが蘇我入鹿を討ち果たした場所です。
この地域は元々飛鳥板蓋宮と伝承されていました。
この飛鳥板蓋宮というのは645年の有名な大化の改新で、中大兄皇子や中臣鎌足らが蘇我入鹿を討ち果たした場所です。
<飛鳥京絵地図>
